デザイナーになるために学校教育は必要?
私は現在東京の渋谷にあるファッション専門学校で学生にデザインを教えています。
担当は広告に関するデザインで、ファッション業界に就職希望の学生たちにデザインを理解させ、簡易的なチラシ、ポスターなどを作成できるようなレベルに育てることが私に課せられた業務となります。
私はデザイナーですが、ここに至るまでには学校でデザインの勉強を教わったわけではありません。一応美術大学を卒業しましたが専攻は芸術学部の彫刻でした。デザインとは程遠い勉強をしていたわけです。
その後社会に出てからデザインの勉強を独学でしましたが、実際デザイン案件を受注しながらデザイナーとして技術を養ってきたのです。
そのような経歴があるので、基本ではデザイン教育は学校で教わらなくてもよいのではないかと思っています。しかし、基本を学ばなかったことで大回りをしたことは確かです。今想えばちゃんと教育を受けていれば良かったかな、とも感じます。
デザイン教育の現場
では教育現場においてどのような教育が行われているかを自分の体験に沿って伝えます。
私の場合年間で45コマの授業を持っています。前期30コマ、授業時間でいえば2時間/週、後期15コマ1時間/週で、これだけの時間を使って学生にデザインを教えています。
制作にはパソコンを使い、アプリケーションはAdobe社のイラストレーターとフォトショップを教えています。
基本的に授業で教えなければならないことは2つになります。
- PCの操作・アプリケーションの操作
- デザインの理解
PCの操作・アプリケーションの操作
まずAdobe社のイラストレーターとフォトショップを学びます。
このアプリケーションを扱う最初の授業で学生は大きな衝撃というか壁というものを感じてしまいます。
Adobeイラストレーターのインターフェイス
上の写真はパソコンの画面です。それを見て高校を卒業したての学生はびっくりします。多分困惑しています。こんな複雑な画面を自分が操作できるのかと感じることでしょう。
なかにはパソコンが苦手な学生がいてうめき声をあげることもあります。
本当にこの授業の単位を取ることができるのだろうか?
明らかに迷っている学生もいます。
ところが・・・
結論からというと、ほぼ100%の学生は問題なくこの二つのアプリケーションを使えるようになります。
(具体的な操作方法の説明はこのブログに後日記事として書く予定です)
なぜできるか?
それは簡単です。この授業は年間45コマの時間を費やして勉強するわけです。45コマは時間数にして67.5時間になります。その時間をかけて基礎を教えるわけですが、初期の段階は「ツールの繰り返し」をさせます。
また? とか、もういいよ〜、という飽きっぽい学生もいますが、とにかく操作の繰り返しをさせます。
すると夏休み前、前期授業の最後のにはほぼクラスの学生はアプリケーションを使えるようになります。本当です。
人間はどんなに複雑なことでも何度も繰り返し行うことで、嫌でもその行動を憶えますよね。そして一度憶えてしまえば今度は楽になります。次のステップに移るための土台になるわけです。
デザインの理解度
学生にデザインを教える上で大切なもう一つのこと、デザインの理解力。
これに関しては個々の学生の才能によります。したがって一律に評価はできません。
例えば、
アニメやイラストなどを高校生の時に好きで描いていた。たまたま家庭環境においてデザインに接していた。もう既にアプリを操作できる学生など、あきらかに私の授業で勉強する上で最初から優位に立っている学生がいます。
説明をしなくても授業が進むうちに授業内容を理解していて、パソコンの画面を覗き込むとほぼ完璧にカリキュラムをこなしています。
ところがデザインに興味のない学生が一番大変です。たとえパソコンの操作ができてもデザインに興味がないと実力が伸びていかないからです。
クリエイティブな授業は、感性を得て初めて手が動き表現に磨きがかかるものです。その手前で興味が失われるわけですから、時間つぶしに教室にいることになります。
ですからそのような学生にデザインを指導する場合は、良い悪いといった評価はせずに、出来ている部分に光をあてて指導しています。
デザイン評価
では成績としての評価はどこでするのか?
学校で授業を行う場合、担当教員はシラバスを必ず提出します。これは授業を進める上での約束事を明記することで、カリキュラム、授業の狙い、効果を事前に学生に示すのです。私の場合その評価点は4つあります。
- 出席日数
- 授業態度
- 授業内容の理解
- 提出物の評価
評価内容はデザイン的な才能だけで決めるわけではありません。出席日数や態度も含めるのでいくらセンスが良くても成績が一番になることはありません。
ただ、感性が鋭く時代に見合ったデザインができる学生は欠席もなく、授業態度も悪くありません。したがって自ずと評価は高くなります。
そして当然、感性は鋭くないのですがアプリケーションの操作が得意な学生もいます。その場合も評価はある程度高くなります。私の場合は評価基準の「授業内容の理解」を重視します。
学生には個性があります。理系タイプ、文系タイプ、経営者タイプ、アーティストタイプそれぞれ育った環境や持っている感性があります。たとえ理系タイプでも突然クリエイティブな眼が育って変貌する学生もいます。
教える立場からいうと、つねに伸びしろのことを考えて、なるべく芽を摘まないように大切に育てるような、感じです。
卒業後に成長する学生たち
当学校の卒業はアパレル系の会社に就職しますが、教え子の中にはITもしくは出版の会社にデザイナーとして就職する者もいます。
今では彼らも一人前のデザイナーとして活躍していますが、成長過程をみていると、どこかで一人立ちをする転換点がありました。
いわゆる「気づき」です。
作業のなかで自分の立ち位置が明確に理解できるときです。
それって、デザイナーとして自立する瞬間です。
問題が起きても自分で解決。デザインの引き出しからどんどんイメージを出して結果を残していき経験を重ねて行けるようになる。
思えば私も自分のキャリアのなかでそんな経験をしたことがあります。私の場合はアカデミックなデザインを教わったことがないので、全てが苦闘の連続でした。
しかし、あれ? こうしたらいいじゃないの? とか、この場合は過去の作品の部分を流用しても平気かな? とか問題解決がある日を境に沸き上がってくる転換点がありました。
教育とは、一人立ちを自覚するまでの道先案内人ではないかと思います。
一人の人間がデザイナーとして育っていくきっかけを与えるのが教育であり、教師の仕事です。
ただできないことはあります。
本人がどれだけ「やる気を見せて、真摯に向き合い、根気強く」頑張れるかという学生の中にある熱意だけは引き出すことができないのです。